
ボールを打つ感覚は同じ。
でも、試合や練習への向き合い方、仲間との距離感、日々の優先順位は、海外生活の中で静かに組み替わっていきました。
今回は、そんな「海外暮らし×テニス」で生まれた5つの価値観の変化を、日本での自分との違いを交えて整理してみます。
目次
1. 「個人のため」から「チームのため」へ
日本では、勝っても負けても最終的に自分の問題でした。
試合に出ても勝敗は自分の評価であり、負ければ悔しさも自分ひとりで背負うだけ。
特に社会人になってからは、勝っても負けても「自分の経験値が増える」くらいで、そこにチームの存在を意識することはほとんどありませんでした。
一方でドイツに来てクラブのリーグ戦(Medenspiel)に出るようになり、この感覚は大きく変わりました。
私はチーム内で一番LKが高かったため、常にシングルス1を任される立場。
格下相手に負けてしまったとき、自分のせいでチームの勝利を逃した申し訳なさは言葉にできないほど大きなものでした。
個人戦の悔しさとは質が違う。
「自分の1ポイントが、今日の全員の結果を左右した」という事実が、良くも悪くも重くのしかかる。
だからこそ、勝てた日は喜びが何倍にも増幅します。
ベンチに戻ると、背中を叩かれ、握手され、笑顔で迎えられる。
「今日はお前の日だったな」と言ってもらえる瞬間、チームの中に自分の居場所が確かにあると感じます。
「個人の勝ち負け」ではなく「チームの勝利」に貢献すること。
そこに強い責任感と喜びを感じるようになり、勝利に対してより貪欲になったのは、間違いなくドイツでの団体戦がきっかけです。
2. 「仲間と楽しむテニス」から「目的のある練習」へ
私は日本でテニスコーチとして働いていた経験があります。
コーチを辞めた後も、ただ趣味として続けるのではなく、自分でテニスサークルを立ち上げて仲間と練習をする生活を送っていました。
あの頃は勝ち負けよりも「サークル仲間と同じ時間を共有して一緒に楽しむこと」が中心。
試合に出ることもありましたが、それ以上に「集まって打ち合うこと自体」が楽しみだったのです。
ところが、ドイツに来てリーグ戦に出るようになってからは環境が一変しました。
リーグ戦で勝つことが明確な目的になり、練習とトレーニングが再び“機能”し始めます。
チームに勝利をもたらすために、自分に何が足りないかを考え、改善することが日常になったのです。
スタミナ不足で試合を落としたなら翌日からランニングを習慣化。
パワーで押し切れない相手には、スライスやドロップでテンポをずらす。
学生時代に団体戦へ臨んでいた頃のように「勝つために自分を磨く」という感覚が戻ってきました。
社会人になって一度は失っていた“目的を持った練習”が、ドイツで再び自分の生活に組み込まれるようになったのです。
3. 仲間との一体感の濃さ
団体戦に出ると、仲間との一体感を強く感じます。
日本のサークル時代にも仲間はいましたが、試合はあくまで個人戦。
応援はあっても団体としての熱量は限定的でした。
それがドイツでは違います。
リーグ戦の試合中はベンチから声援が飛び、ポイントを取ればハイタッチで迎えてくれる。
「自分は一人じゃない」と実感できる環境があります。
特に印象に残っているのは、自分しか勝てないレベルの相手に挑んだ試合。
激しいラリーが続く中、最終的に勝利を収めたとき、チームメイトから「お前がいてくれてよかった」と言われました。
その瞬間、自分がNo1としての役割を果たし、チームの存在意義を支えられたのだと誇りを持てました。
個人戦では味わえない喜びであり、団体戦の醍醐味を改めて思い出した出来事です。
4. 言葉の壁を超える「仲間意識」
ドイツ語はまだまだ完璧ではありません。
最初の頃は特に試合中の作戦や練習後の会話にも戸惑いがありました。
それでも、試合に真剣に取り組む姿勢は言葉を超えて伝わるものです。
昇格を目指して全力を尽くす姿を見せることで、自然と仲間に受け入れられ、次第に距離が縮まっていきました。
「言葉ができないから仲間になれない」のではなく、「真剣にやる姿勢」があれば仲間として認めてもらえる。
走る姿、拾う姿、負けた後の悔しがり方、勝った後の喜び方。
そこに嘘がないことは、文化や言語を越えて自然と伝わるものです。
だから、昇格がかかった試合ほどチームの輪は固くなる。
試合後のビールが「うまい」かどうかは、語彙じゃなく姿勢で決まると思っています。
テニスという共通言語があるからこそ、私はドイツで人間関係を築くことができました。
5. 「仲間と楽しむ場所」から「生活の軸」へ
日本での私はコーチとして、そしてクラブやサークル運営者として、テニスを“場づくり”の側面から楽しんでいました。
打ち合いそのものがご褒美で、試合はスパイス。
サークルの仲間と一緒に汗を流すことが楽しみで、勝ち負けよりも同じ時間を共有すること自体に価値を感じていたのです。
一方、ドイツに来てからは学生時代の団体戦を思い出すような熱気と一体感を再び体験するようになりました。
勝利を目指して戦う緊張感や、チームのために役割を果たす誇り。
それは「趣味」としてのテニスとは違い、生活の中心に据えられるようになりました。
さらには海外生活における「自分を表現できる場所」にもなっています。
マズローの欲求段階でいえば、所属欲求・承認欲求・自己実現の欲求を同時に満たしてくれる存在。
海外生活を続けていく上で、自分の居場所を作ってくれるものです。
実際、仕事だけに時間を費やしてしまい、日本への帰国を選んだ人を何人も見てきました。
海外生活は楽しいことばかりではないけれど、テニスのおかげで“私のまま”でいられる。
だから続けられるし、もっと強くなりたいと思える。
日本で育てた「仲間と楽しむテニス」が土台にあるからこそ、ドイツで「チームのために戦うテニス」を心から楽しめているのだと思います。
まとめ
日本では「仲間と楽しむテニス」を続けていた私が、ドイツに来てからは「チームのために勝つテニス」へと意識が変わりました。
努力の仕方も、仲間との関係性も、生活における位置づけも、すべてが変化しました。
指導者として、コミュニティを作る立場として、そして今はプレイヤーとして。
関わり方は変わっても、テニスは常に私の人生を支えてきました。
海外で暮らすことで、日本にいた頃には得られなかった「団体戦の熱気」と「仲間と戦う楽しさ」を再び味わえていることは、私にとってかけがえのない経験です。
同じスポーツを続けているだけなのに、文化や環境の違いがここまで自分を変えるのかと驚かされます。
そして今はっきりと言えるのは、テニスは私にとって単なるスポーツではなく、「海外生活を豊かにしてくれる人生の軸」そのものだということです。